【日常】料理ができなくなった僕が、料理研究家の本を読んだ話【本レビュー】

日常

こんにちは、taicchanです。

最近、とみに家事が億劫です。
ちょっと油断すると、アイロンがけを待つハンカチが溜まってしまいます。
同じように自炊も億劫になり、昼食は近くの定食屋さんやラーメン屋さん、ファストフード店などで取ることが多くなりました。

そんな時、料理研究家の土井善晴さんと政治学者の中島岳志さんによる対談『料理と利他』(ミシマ社、2020年)を読みました。

料理がなかなか億劫になった中で読んだ料理研究家の本に何を感じたか、今日はそれをこちゃこちゃと振り返っていきます。

この記事が、「家事がめんどくさい」「暮らしが億劫に感じる」という人にとって気づきやヒントになったら嬉しいです。

 



料理ができなくなった理由

理由そのものは単純で、体調不良による気分の変化でした。
億劫感が日々高まり、ちょっとした家事でも「まあ今度やればいいか」とか「何か外部のサービス使うか」といった感じで投げるようになったのです。

料理に関しては先述した通り、近所の定食屋さんやラーメン屋さん、ファストフード店などに行ったり、あるいはレトルト食品に頼ることが増えました。

そうしてふと振り返ってみると、実に偏った食生活を過ごしていることに気づきました。
栄養価もそうなのですが、何より味や種類。
好きなものしか食べなくなりました。
プロフィールにも書いている鳥の唐揚げなんて、まさにその筆頭です。

そうして、自分で狭めた選択肢の中で生活していくと、日々の繰り返し感はどんどん増していきます。
季節感もなくなり、曜日の間隔も薄れていきます。
毎日が同じビデオを擦り切れるまで再生しているような感覚になり、億劫感はさらに増していきました。

完全に、悪循環のスパイラルに入っていったのです。

『料理と利他』を読んだ感想・影響

そんな状況下で、積ん読にしていた『料理と利他』を何の気なしに手に取りました。

『料理と利他』は先述の通り、料理研究家の土井善晴さんと政治学者の中島岳志さんによる対談を本に起こしたものです。
コロナ禍での生活の変化を受け、家庭での食事についていろんな切り口で二人が語っています。
外食と家庭料理の違いであったり、脈々と息づいている家庭料理の歴史と現代の生活のギャップについて、などなどです。

面白いな、と感じたポイントがいくつかありました。

ひとつは、洋食と和食の違い。そして、洋食に触れたことで和食に訪れた変化、です
パンやケーキなど、グラム単位で粉の量をはかり科学的に「作り上げていく」洋食と、自然にあるものをそのままに和えたり、添えたりするような「引き出していく」和食は根本的にルーツが異なっていると土井さんは語っています。

文中でいろんな例えが用いられているのですが、特に刺さったのがお酒の違い。
洋酒の代表として挙げられるワインは、それぞれの個性を楽しむものです。この美味しさを、土井さんは「人為的なおいしさ」として語っています。
その一方、日本酒は「清酒」と呼ばれるように、エッジの効いた味のいいお酒を作るよりも「きれい」なお酒を作ることを重視してきた。
ワインが人為的であれば、清酒は「自然なおいしさ」になります。

そして、そんな日本酒が日本中で、あるいは世界中で評価されるようになった(復活という表現が使われているの「再評価」とも言えるかも)のは、「人為的なおいしさ=個性を作り出す」西洋の価値観に触れたことで、日本酒の作り方にも変化が出たからだと土井さんは語ります。

こうした違いを発見することが多様性・無限性を楽しむ一つの方法だと語っています。

もうひとつは、対談後の質疑応答において「ミニマリストについて」の質問への土井さん・中島さんの回答。
お二人は応答として、ミニマリストの行き着くところは「ストレスを排除したいという感情」に根付いていると話します。
土井さんはそこから、自然さえも排除しようとしたのが都市であり、現代はそこから人間すら排除しようとしてきているのではないかと逆に問いかけます。

あまりそれが行き過ぎるとひとりぼっちになっちゃうから、ほどほどにしておくのがいいんじゃない?と独特の語り口で土井さんは話されていましたが、この内容刺さりました。

前述の通り、僕の最近の食生活は可能性をどんどん排除していったもの。
メニューも、手段も、どんどん可能性を排除して、好きなものしか食べようとしない生活。
街にあるチェーンの定食屋さん、ラーメン屋さん、ファストフード店からコンビニレトルトに至るまで、最近口にしていたものからは「人の手」を感じません。
機会が作ったようなものしか食べたくないという感情は、とにかく逃げて逃げて袋小路に入り込んでいった状況なのではないかと感じたのです。

読後に感じ、考えたこと

「好きなものしか食べない状況」「自分の手を動かさずにただ食事をしている状況」にいた自分にとって、土井さんや中島さんの言葉はどれも刺さってきました。

外食って本当にさまざまなメニューがあるので一見すると選択肢が広がったように見えるのですが、結局は自分の好きなものばかり食べているので「選択肢があるようでない状況」です。

可能性をどんどん排除していくというプロセスはまさに上述したようなミニマリストへの道ですし、その先に待っているのは孤独と倦怠感の袋小路です(すでに腰くらいまで浸かっているので、感覚的にわかります)。

暮らしをシンプルに、楽にしていくこと自体はとても心地のいいことなのでこれからも続けていきたいのですが、それは人間にとって1日の中で限られた選択の回数を有意義に使いたいから。
その選択の中にはもちろん、食も入ってきます。

あらためて、自炊してみようかなあとぼんやり考え始めました。
ただ繰り返しになっている日々に、まずは身近なところから季節感を取り戻していきたいです。

すぐにがっぷり四つに組んで自炊するぞー!とはいかないので、土井さんの提唱する一汁一菜をさらに楽にしてレンチン料理から始めようかと思います。

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