【短歌】枡野浩一『ますの。枡野浩一短歌集』を読んでみた。【歌集レビュー】

短歌

こんにちは、taicchanです。

2021年春より短歌を始めたビギナー歌人です。
ずっと「定型を守る」ことだけを意識して1年間約750首の短歌を作ってきました。

この記事では、そんなビギナー歌人のtaicchanが読んだ歌集のレビューを行っていきます。

同じように短歌を始めたばかりの方、またずっと歌集に触れる機会のなかった方にとって、さらに短歌を楽しむきっかけになってくれたら嬉しいです。

 



枡野浩一さんと、『ますの。』

枡野浩一さんは現代口語で短歌を作る代表格のような方。
歌集だけでなく、小説を書いたり漫画の原作を書いたりと、マルチに活躍されている方です。

現代口語で短歌を作ることに、ご自身のアイデンティティを持っていらっしゃるようで、著書『かんたん短歌の作り方』ではこんなふうにこだわりを表現されていました。

ただ、短歌だからといって、昔風の言葉づかいにすると、もうそれだけで短歌らしく見えてしまう。そんなのは手抜きなんじゃないか?と教祖は考えています。
(『かんたん短歌の作り方』筑摩書房、2014年)

「教祖」というのは『かんたん短歌の作り方』での枡野さんの自称です。
言葉づかいは平易ですが、強いこだわりを感じます。

現代口語短歌といえば、以前レビューした穂村弘さんや『サラダ記念日』で有名な俵万智さんなども挙げられますが、枡野さんが一貫しているのは「たり」「せり」といった言葉遣いを一切使わないことです。

混じりっ気なしの現代口語短歌、それが枡野短歌の揺るぎない軸です。

現代口語短歌は良くも悪くも作りやすく、「これって韻律に合わせて言葉を並べただけなんじゃないの?」という落とし穴に陥りやすい側面もあるのですが、今回読んだ『ますの。』に掲載されている歌はその落とし穴を見事飛び越えた歌の数々が掲載されていました。

『ますの。』は枡野さんが31歳の時にあたる、1999年に発行されています。
奥付によると、『ますの。』以前の歌集に掲載された枡野さんの短歌は、枡野さんが19歳から29歳までの間に作られた歌とのこと。

もし19歳から本格的に短歌を始めたとすれば、時代的にはバブル崩壊前夜にあたります。
日本が絶頂から谷底へと転落していく時期に詠まれた歌の数々ということになりますが、若さと親しみのある調子の歌が並んでいます。

口語短歌だからこその口当たりと、描いている世界観が枡野さんの目線から地続きになっていることが大きいのかなと感じました。

望遠と広角を使い分ける、変幻自在の表現力

『ますの。』を読んでびっくりしたのは、見開きで一首という大胆なページ構成です。

歌のインパクトがとにかく大きいです。
一見すると、ページ数に対して歌の数が少ないため、初めて歌集を読む人にとっては量的に少なく読みやすいように感じられるかと思います。
しかし、収録歌数が少ないということは、一首ごとのインパクトが大きいということ。
表現されている内容や世界観の拡がり・深まりが大きく、スルメのように楽しめる歌集だと感じました。

そんな『ますの。』を読んで感じた、枡野さんの短歌の特徴を3つほど追いかけていきます。

指示語で拡がる世界観

『ますの。』のなかには指示語、いわゆる「こそあど言葉」を活用した歌が何首も掲載されています。
たとえば、

好きだった雨、雨だったあのころの日々、あのころの日々だった君

あの夏の数かぎりない君なら殺されたっていいと思った

それを見る僕のたましいの形はどうせ祈りに似ていただろう

「あのころ」、「あの夏」、「それ」。
いったいいつの話なのか、何についての話なのかは一切明かされていません。

その結果、指示語が指す先は読者に完全に委ねられます。
読者が大切な人と過ごした特定の雨の日々を思い出したり、思わず祈りたくなるようなものを見た時の気持ちをリフレインさせたり。

歌自体は指示語で非常に広く描かれているようで、読み手の読み方でいかようにも焦点の合わせ方が変わってきます。

短歌の読みをカメラのレンズに例えるならば、枡野さんは構図を用意し読み手はそこで自分の好きな距離を選ぶことができます。

こそあど言葉に終始しておきながら、中途半端に読みを終わらせない絶妙な世界観の拡がりを枡野短歌は表現しています。

固有名詞で画角をフォーカス。

距離感に自由度を与える歌があるかと思えば、がっちり距離感を固定した歌も枡野短歌には見られます。
それは、固有名詞を効果的に使った歌たちです。

寅さんの看板を見てガキのころ「つらいのやだ」と思った男

太ってもやせてもたぶん君よりは宮沢りえは百倍美人

こわいのは生まれてこのかた人前であがったことのない俵万智

寅さん、宮沢りえ、俵万智、どれも人名です。

人物名や作品名が明確に歌の中に表記されると、世界観が固定されます。先ほどの「こそあど言葉」の歌とは対照的に、何をどう描きたいのかが明確になっています。

いわば、画角も距離も固定された歌です。

こうした対照的な歌たちが、一冊の歌集の中に収められています。
お互いの歌が反発しあい、歌集の中でいいアクセントを生み出しているように感じられました。

言葉自体を分解し、ズレへの共感を生む。

ここまで見てきた歌たちとは、ちょっと毛色の異なる歌も収録されています。

カッコして笑いと書いてマルを打つだけですべてが冗談みたい(笑)。

塩酸をうすめたものが希塩酸ならば希望はうすめた望み

ファミリーがレスってわけか 真夜中のファミレスにいる常連客は

単語や表現を分解した歌たちです。

どこかダジャレのような分解になっていて、くすくすと口当たりのおもしろさに笑みがこぼれる歌たちです。
ただ、この「ダジャレのような分解」というところが重要なのかなと感じました。
分解したり、あるいはくっつかないものをくっつけたりして、その反面しっかりと歌に共感を与えています。

たとえば2番目の「希望」の歌は、屁理屈のようで「たしかに」と思ってしまうような一首です。

こういう歌は『ますの。』のなかに何首も掲載されており、読み手に共感を呼ぶ枡野ワールドへの誘導をしっかり果たしています。

明確な師匠に見えたからこそ。

自身の経験や感覚と地続きの歌を作り、読み手に共感を与える。

これは、僕が短歌を作る上で目指す到達点です。
その到達点に立つ人、枡野浩一さんと出会ってしまいました。

「出会ってしまった」としたのは、その影響力の強さです。

影響を最も受けやすい歌人だなと感じた反面、何を作っても枡野さんの劣化コピーになってしまうんではないかという恐怖を胸中に抱きました。

歌人・木下龍也さんは著書『天才による凡人のための短歌教室』で、2人の歌人の短歌をインプットしろと説いています。
その理由は、一人だとパクリに陥り、最終的には劣化コピーになってしまうからとのことでした。
木下さんが話していた内容を、まさしく実感しています。

今回のレビューで3人目となりましたが、これからもさまざまな方の歌を読んで、その良さに影響されたり、参考にしていければなと心に誓った次第です。

 



 

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