【短歌】工藤玲音『水中で口笛』を読んでみた【歌集レビュー】

短歌

こんにちは、taicchanです。

2021年春より短歌を始めたビギナー歌人です。
ずっと「定型を守る」ことだけを意識して1年間約750首の短歌を作ってきました。

この記事では、そんなビギナー歌人のtaicchanが読んだ歌集のレビューを行っていきます。

同じように短歌を始めたばかりの方、またずっと歌集に触れる機会のなかった方にとって、さらに短歌を楽しむきっかけになってくれたら嬉しいです。

 



工藤玲音さんと、『水中で口笛』

今回ご紹介するのは、工藤玲音さんの歌集『水中で口笛』です。

この本と出会ったのは、1月の初めに行った歌集一気買いのときでした。
MARUZENジュンク堂渋谷店の短歌コーナーで、一番手に取りやすい位置で平積みされていたのが『水中と口笛』だったのを今でも覚えています。



イラストレーターの和田誠さんを思わせるようなシンプルな装丁と、どんな歌集か想像をかきたてるタイトルに惹かれて手を取りました。

工藤さんのプロフィールを奥付から参照してみると、

1994年生まれ。
岩手県盛岡市出身。

シンプルに生年月日と出身地が書かれています。

後書きを読むともう少しプロフィールが深掘りされて、

  • 高校時代から短歌を始めた。
  • コスモス短歌会に所属されている(コスモス短歌会は戦後最大規模の短歌結社)。
  • 東北大学短歌会に所属されていた。

といった経歴が見られ、郷土のスター歌人・石川啄木へのリスペクトなどを窺い知ることができます。

実際に歌集を読んでみると、直接的に岩手や盛岡の街並みの中で詠んだ歌や、きっとこれは郷土のことを詠んだ歌なんだろうなといったものがいくつも収録されており、東北地域や岩手・盛岡といったご自身の故郷への深い愛情・愛着が感じられました。

歌自体は現代口語短歌となっており初めて歌集を手にする方でもとっつきやすく、一方で口語短歌で陥りがちな「五七五七七のリズムで、とりあえず言葉を並べました」といった歌ではなくストーリーやメタファーを感じる味わい深い作品が収録されています。

共感を呼ぶ数々の歌と、絶妙な空白

繰り返しになりますが、『水中と口笛』は現代口語短歌の歌集です。

現代口語短歌のとっつきやすさ、そして詠まれている題材が日常と地続きになっていることから、読み手に情景への理解や深い共感を呼ぶ歌集だなと感じました。

離れつつあるがなかなか視界から消えない晩夏のヤクルトレディ

死はずっと遠くわたしはマヨネーズが星形に出る国に生まれた

燃えている色の紅葉を踏むときの燃え尽きた音 駅まで歩く

こうした詠まれている世界がいっぺんに頭の中に映像として流れて、そしてそのあとで詠まれている感情がじんわりと広がってくる。

こういう歌、作りたいなあって歌集を読み進めるほどに感じて、歌そのものだけでなく歌づくりのスタンスにも僕は共感を覚えました。

そして、いま上げた歌の最後に掲載した紅葉の歌のように、工藤さんの歌には句切れのタイミングで空白の入る歌が歌集の中で散見されます。

空白の使い方としては、

  • セリフの「」代わり
  • 情景から内面への移行
  • 事象とメタファーの切り離し

といったカメラワークの切り替えという意図が明確に見えます。

たとえば情景から内面への移行でいえば、

夜の海 すこしあかるい黒が夜、暗くて濡れている黒が海

きみ鼻かむ わたしと出会う前のことすべて飛び出てちり紙になる

笹舟の置かれた場所が川になる あふれて抱えきれない自由

ここに挙げた歌たちは、空白前が情景描写になっていて、空白後は歌い手の主観が入ってきます。
外から内へ、カメラが切り替わっているのが読み取れます。

事象とメタファーの切り離し、あるいはその解説なところでいくと、

惑星は整列が好き 大鍋に小鍋をしまい終わるいちにち

とーほくとーほく 連呼をすれば寄せ鍋の豆腐を食べる声に似ている

「ん?どういうことだ??」といった出だしから、「実はこんな状況だったんです」という意図の解説が空白の後ろでされています。
空白の後ろが、まるで手品の種明かしのようになっています。

こうしたテクニカルなところをしっかりと明示しつつ、選んでいる言葉はそのひとつひとつがとてもやわらかく、読み返すほどにその歌が胸に染み込んでくるのが工藤さんの歌の特徴だと感じました。

自分の目標でもあり、そして手放しに「好きだ」と言いたくなる歌人の方と出会えたことを、とても嬉しく思います。



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